2008年11月15日更新
小栗上野介忠順 幕末、米国から持ち帰ったねじ
小栗公が米国から持ち帰ったとされている「ねじ」
産業の塩と称される「ねじ」は身の回りから1メートルも離れていない所に使われている―。と言われており、今やメガネ・時計・携帯電話など我々の必需品にも多様に使用されている。基本の螺旋構造は変わらないものの用途に応じて形状・材質・機能など進化を遂げている。このねじの進化、発展の布石を打ったのは幕臣・小栗上野介忠順だったとされている。日本近代化の父とも言われ、幕末、米国から持ち帰ったねじを横須賀造船所などの建設に多用した小栗公。ファスニングジャーナルでは小栗公の歴史を振り返りながら「ねじ」の原点を振り返ってみたい。
記事インデックス
▽【第1回】小栗上野介忠順 幕末、米国から持ち帰ったねじ 2008年8月22日(金)▽【第2回】重工業源泉のオランダ製スチームハンマー 2008年11月17日(月)