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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」113 -日本産業革命の地・横須賀造船所

戦争中で隠された大地震の被害

 日本人の優しさとメンタルの強さ ドイツ人の若者アルチャ・ツゥーゼさんは、数年前に訪れた穴水町の自然が気に入り、大学卒業後に再び来日して町に住み、前回に知り合った医師宅でお正月を過ごしていて1日の能登半島地震で人生初めての地震に遭ったという。

 「家はものすごく揺れ床や壁にバウンドしながら、立っていられない。外へ出ると、70すぎの老人がつぶれた家の屋根から半分体を出して、潰されて死んでいた」「ショッキングで動けなかったけど、みんな『逃げろ!』と叫んで、先生と高いところへ逃げました。」避難所でおばあちゃんたちが作ってくれたおにぎりを食べ、水を飲んで、「みんな『大丈夫、大丈夫』といって、他の人を元気づけていた。その夜、暗いなかで食べたおにぎりは小さかったけど、すごく美味しかった。日本人のパワフルさに元気をもらいました。ドイツ人なら泣いて、悲しんで、3日間はダメ。日本人は泣かないし、明るかった。“大丈夫のメンタル”で、助け合って食べ物とか水を分け合い、助け合いで動いていた」「こんな時、一つの場所に知らない人と20人くらいで一緒にいるなんて、ドイツ人はできない。日本は緊急な時も、“助け合い”のメンタルにびっくり、すごいと思った」(「週刊ポスト」より)

 隠された大地震 実は昭和19年12月にM7.9の東南海地震、1ヶ月後の20年1月には内陸直下型の三河地震があって大きな被害が重なったはずですが、敗色が濃い戦争中のことで軍需工場が集中する東海地方の被害甚大を敵国に知られると不利として報道管制が敷かれ、現在でも死者数、被害の実態や詳細は不明のままです。東日本大震災も今回の能登半島地震も、もし日本が戦争中であったら不透明なニュースの断片しか伝わらず、被害者は置き去りで個々の努力しかできない泣き寝入りを強いられたでしょう。日本は地震、水害でたちまち弱者になるのが当たり前の災害列島だから、戦争をしてはいけません。

本紙2641号(2024年2月27日付)掲載





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