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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」112 -日本産業革命の地・横須賀造船所

77年+1年目 

 昨年一年を振り返ると、世界ではウクライナ戦争に加えパレスチナ・ガザ地区でのイスラエルとハマスの悲惨な戦闘が続いているが、日本国はどこの国とも戦争をせずに終わったことを評価したい。記念すべき1年だった。
 実は1868明治元年から1945昭和20年の敗戦までが77年間。そして1945昭和20年から一昨年2022令和4年までも同じ77年間であった。つまり、昭和20年敗戦の年を挟んで戦前と戦後が同じ年数だった。
 同じ年数と言っても、中身を見ると大違い。一口に言えば、戦前は明治以来戦争続きの77年間だった。1877明治10年の西南戦争で国内戦争はいちおう終止したが、台湾出兵や、朝鮮から中国への進出による中国国内、あるいは東南アジア地域での軍事紛争は数年おきに頻発した。当時これらは戦争と言わず、「〇〇事変」「〇〇事件」という名で呼んだからそんなに戦争があったとは知らない若者も多い。「戦争」といったのは日清戦争、日露戦争、と太平洋戦争だけ(プーチン大統領もウクライナに仕掛けた戦争状態を「特別軍事作戦」と呼ばせ、「戦争」と言った人を処罰する法を作った)。ともかく明治以来の紛争でそのつど日本人外国人を含めた多くの人々が傷つき、命を落とし、最後は原爆を2発も落とされ、国が滅びる寸前で敗戦となった77年間だった。
 戦後の77年間は、日本国民が国の命令で外国へ行って戦って人を殺し、あるいは殺された国民が一人もいなかった、戦争のない77年間。
そして先月の年末で戦後の戦争をしない年が1年プラスされて78年目になった。記念すべきプラス1年目だったと思う。せめてあとプラス180年は知恵を絞ってこういう日本が続いてほしい。180年続けると、260年間戦争をしなかった江戸時代と同じ年数になる。外国人観光客が異口同音に「日本人は優しい」という現在の日本人像の原型は、戦争をしなかった江戸時代の260年間に形成されたとみていい。戦争続きの国民はなかなか優しくなれない。

本紙2638号(2024年1月27日付)掲載





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