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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」122 -日本産業革命の地・横須賀造船所

小栗上野介と渋沢栄一 3 ―小栗にはねられなかったから-

 そういう共通認識のもとに、「○年後には幕府がどうなっているか分からない」といった会話が普通に交わされ、それを「不忠である」などと非難する雰囲気がなかったこと。何が何でも幕府を存続させる、という認識ではなかったということがわかる。

 もしこの時渋沢に対して、小栗が「お前さんは危険人物だ、昭武公に随行させるには不適格!」と言ってはね突けていたら、その後の渋沢の人生もかなり違って、「1万円札の顔」は難しかったろう。小栗は二言、三言のやり取りで渋沢の人物を見抜き、これは大丈夫な人物、使える男、志の高い人物と見抜いて追及の鉾を収め「君のような志の高い人物が昭武公を御補佐申上げることはめでたい限り…」とまで語っている。

 それだけでなく「自分が勘定奉行の任にあるうちは間違いなく経費を送る。しかし幕府の運命も先はわからないから、その覚悟はしておきなさい。自分だって、生きて再び昭武公にお目にかかれるかわからない」とかなり突っ込んだ見解=打ち解けた考えも語っている。

◆「幕府の運命についての覚悟」…このとき小栗上野介は「生きて再びお元気な民部様に対面できないかも知れないがその時はその時のこと」とも言っている。
 …もしかしたら自分自身が生きて再びお元気な昭武公に会うことはないかも知れないが(勘定奉行の途中で留学費を送る責任が果たせなくなる)その時はその時のこと、と小栗は自分の運命についても洞察していることがわかる。実際歴史はその言葉通りになってしまった。

◆本宮ひろ志のマンガ『猛き黄金の国』(集英社)は三菱を興した岩崎弥太郎を描き、宝塚でも上演されたことで知られるが、三菱に対する三井が幕末から明治に乗り切れたのは小栗家に出入りしていた三野村利左衛門の力があってのことだから三野村の活躍も描き、指導した小栗上野介の業績も描かれている。

 そして最後に明治政府に殺された小栗上野介の遺志を継いで日本経済に貢献したのが渋沢栄一、という締めくくりを見せている。本宮ひろ志というマンガ家は骨太の描写で知られているが、これほど小栗上野介をめぐる状況を把握していたとは…、と感心した。

本紙2668号(2024年11月27日付)掲載





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