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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」121 -日本産業革命の地・横須賀造船所

小栗上野介と渋沢栄一 2 ―小栗にはねられなかったから-

 突然で流石の渋沢も面食らったが、何食わぬ顔で
渋沢「しかしそれは昔の話でございます」
小栗「さよう昔には相違ないが、まだ1年か2年しか経過して居らぬではないか…」

鋭い言葉がすかさず飛んでくる。

渋沢「ではございますが、只今では左様も考へておりませぬ」
どこまでも渋沢がきまじめでいるので小栗も追及の鋒をおさめた。
小栗「いやそれは冗談である。とにかく今度の昭武公のパリ渡航の決心は眞に結構の事である。自分も心から喜んでいる。君のことも承知している(1)。君のような志の高い人物が昭武公を御補佐申上げることはめでたい限りと思う。どうか十分に努力して務めるよう期待する。会計については5年は愚か、三年でも二年でも将来のことは全然分らぬが、然し(自分が)病に倒れるか、辞任すれば分らないが、いやしくも自分が職に在る間は決して心配はかけぬから安心して行くがよい。しかし呉々も幕府がいつどうなるかは全然分らぬから―これは自分だけ心配しているのではなく、他の人たちもみな同様に感じている所であるが―或は生きて再び昭武公の御元気な御様子を拝することは出来ぬかも知れぬが、その時はその時でどうにかなろう。決して心配することはいらぬ。しかし幕府の運命についての覚悟(2)だけはしっかりきめておくことが必要であろう」 

注:君のことも承知している(1)…二つの意味がある。➀国のことを考えて立ち上がろうとした志の高い人物ということはわかった。②でもとりあえずいまは執行猶予中だ、随行の仕事をしっかりやらなかったら、水戸学にあおられての前歴「凶器準備集合罪」の責任を取らせるよ、と釘を刺したのだろう。

幕府の運命(2)…徳川幕府の国家経営はすでに組織と運営が行き詰まり、欧米への開国による新しい国家経営戦略を展開しようにも幕府の政治体制に限界があって、このまま長続きさせられないという共通認識が幕臣の間にあったことがわかる。

本紙2665号(2024年10月27日付)掲載





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