村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」119 -日本産業革命の地・横須賀造船所
フランス式に日本人が合わせた=日本人の特性
10数年前、上海の「財経テレビ」局が東善寺へ取材に来た。いまアジアの経済をリードしている中国・インド・日本、三国の近代化のルーツを探る連続シリーズで、日本は小栗上野介の業績を中心にまとめるという。下調べが入念で、すでに横須賀での取材は終えてきたという。さらに、家族ぐるみ江戸から上州権田村に移り東善寺に仮住まいしていた小栗が、新たに屋敷を建てようとした寺の東1キロの観音山の邸址までも、こちらの案内なしにすでに撮影を済ませて来たというから、これは本格的に取り組んでいると理解できた。
小栗が日本近代化に努めた過程について中国人女性通訳のインタビューに答えていると、横からプロデューサーが質問を加えた。「日本人はそうやって西洋のやり方を取り入れることに抵抗はないのか?」
私は一瞬答えにとまどった。この質問は二つの意味に取れる―
一つは、日本人は国を近代化するために西洋流のやり方をためらいなく取り入れて恥と考えない。積極的な対外文化や技術の受容を賛美する質問。
もう一つは、そうやって無節操に西洋風を取り入れて自国の文化を顧みないのは日本人として恥ずかしくないのか、という中華思想から来る非難の質問。
この質問はどっちだ…一瞬迷ったがありのままを言えばいいと腹を決め、「日本人は少しも恥とは思わない、むしろそれが国の力を高めることにつながるとして、西洋風を受け入れた。横須賀造船所がそのいい例だ」と答えた。
横須賀造船所の特徴は、経営の一切をフランス人に委ね、建物施設の埋立工事~建設段階から定時労働、年功給・能率給など給与体系、日曜休日制・会計簿記、メートル法に日本人が合わせて近代経営を習得していったこと。
世界遺産・富岡製糸場も、7年後の建物建設だけでなく施設の経営すべてをやはり横須賀造船所の経営にそっくり倣(なら)ってフランス式とし、日本人がそれに合わせ成功している。「横須賀造船所の妹」と定義するゆえんである。
本紙2659号(2024年8月27日付)掲載
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