村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」107 -日本産業革命の地・横須賀造船所
「横須賀製鉄所は、明治初年に使われていなかった」という虚説
「長州ファイブ」の山尾庸三についてHP「長州藩の歴史・情報」>工業の父山尾庸三「さくらのレンタルサーバ長州ファイブ」では、次のように横須賀造船所の歴史をゆがめる記述をしている。
「明治元年(1868)山尾は帰国、…明治三(1870)年三月横須賀製鉄所に移る。旧幕府がフランス人技術者に造らせたこの製鉄所は、当時は使われていなかったので、木戸(孝允)がその再生事業に山尾を起用したのです。山尾はそこで船の建造や修理用のドックを造る事業を立ち上げました。」* は錯誤
第1号ドックは慶応三年に掘り始め、山尾が着任した明治三年にはすでに完成間近の工事中で、翌四年に完成している。「長州ファイブ」なる5人を異様に持ち上げる風潮がエスカレートすると、小栗上野介が「いずれ土蔵付き売据え=後の政府の役に立てばいい」と建設した横須賀製鉄所(造船所)の史実を「使われていなかった・再生する」と曲げておとしめ、「造船やドックを造る事業を立ち上げた」と成果を横取りして憚らない。日本を近代化したのは何でも明治政府(=遅れていた幕府政治)としてきた、薩長史観の典型例といえよう。
たかがHPと見過ごすことが出来ないのは、すでに別のHP「北山敏和の鉄道いまむかし」が上記HPを引用して記述。さらに蔓延するのを危惧するゆえ。
ひきかえHP「NHK解説委員室」では「(山尾は)横須賀造船所を担当…実際はフランス人お雇い外国人の力が強く、期待された活躍はできませんでした」と冷静な記述をしている。それは当然のことで、横須賀造船所の首長ヴェルニーは「国立工場の試験を経て、現場経験3年以上」の力量があるフランス人技師・職工を精選して日本に連れてきている。イギリスの造船所で見習工をした程度の山尾が入っても話にならなかったということ。「フランス人お雇い外国人の力が強く」は勢力争いではなく「力量が強く」で、高等数学を駆使する仏人技師たちの力量・経験・判断力に敵(かな)わなかった、ということだろう。
本紙2623号(2023年8月27日付)掲載
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