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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」114 -日本産業革命の地・横須賀造船所

黌舎(つづき) 

 授業料は無料で小遣いまでもらえ、卒業生は確実に造船所に雇われて当時めったにいないサラリーマンとして給料をもらえ、生徒も小遣いのほかに被服費、食費などが支給されることがわかると、たちまち定員を超える応募者がでるようになった。しだいに発展して全国から13歳~20歳の生徒を定員60人募集、5年間フランス語や初歩代数學、初歩幾何学、高等代数学、高等幾何学、物理学、翻訳学、算学、代数学、幾何学、三角術、日本地理学、和漢学、物理、造船技術などを学ばせて技手を育成した。後には全国の優秀な若者にとってあこがれの職場として、黌舎に入学するための予備校までできたという。

 この「黌舎」で学んだ生徒から、後に語学、造船、工学、外交、貿易などさまざまな分野で著名な専門家となる多くの人材が育っていった。
理論を学んだ職工は現場でさらに腕を磨き、日本の近代工業、近代造船の基礎を支える技術職として誇りを持って働き、技術を伝承し広めていった。

[黌舎生]
 1870明治三年三月十六日、中島才吉の提議を受け再開された技術伝習学校「黌舎」では、横須賀製鉄所に雇用されているフランス人技術者により黌舎生はフランス語、算術、図学を学習している。

 たとえば1871明治四年十二月、フランス人大砲下土官はフランス学、数学を教授。1873明治六年十月、フランスのエコール・サントラル出身のサルダは代数学、高等代数学、方程式論、解析幾何学、画法幾何学、物理学、化学、力学を教授1876明治九年七月、エコール・ポリテクニク出身のデュポンは解析学、微分積分、材料学、材料力学、造船学、製図学、機械学、蒸気機械学、熱動学、羅針学、艦砲装置学を教授している。もちろんすべてフランス語による学習であるから、当時の若者の懸命な努力が想像される。

本紙2644号(2024年3月27日付)掲載





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