村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」109 -日本産業革命の地・横須賀造船所―
鎖国が日本の植民地化を防いだ
そもそも「攘夷」と「鎖国」は一対のように理解されているが、鈴木荘一著『鎖国の正体』(柏書房・2022年)では、鎖国の背景にカトリック宣教師を先兵として植民地化を狙うポルトガルの戦略排除があったこと。織田信長は弾薬の硝石を運ぶキリスト教貿易を歓迎したが、豊臣秀吉は布教の裏でキリシタン大名が捉えた捕虜の日本人を、宣教師が発行する奴隷証明書付きで外国に売り飛ばしている実態を把握して「バテレン(パードレ=宣教師)追放令」を出し、家康~家光によってカトリックを禁教とし、貿易と宗教を分離するプロテスタントのオランダを容認する出島貿易となった経過を解説している。単純なキリシタン弾圧ではなく、カトリック布教禁止、プロテスタント貿易容認だったのだ。
この鎖国が日本の植民地化を防ぎ、〈パックス・トクガワーナ(德川の平和)〉と呼ばれる江戸時代260年間、世界でも稀な戦のない平和な日本が続いた。戦がなければ庶民は避難で財産を失うこともなく生活にゆとりが生まれる。お伊勢参りから脚を延ばして四国九州まで大旅行をやってのける旅行ブームが起きた。
旅をすれば旅先での不自由不便、困りごとはひとごとでなく理解できる国民が増える。「落し物が戻ってくる国!」と来日外国人が驚く日本の原型はこの時代に育まれた。藩校や寺子屋・私塾の普及で江戸時代は世界でも稀な識字率7~8割だから、情報が伝達するスピードも速く、安心して旅ができる国だった。
しかし幕末の攘夷運動は、鎖国の背景にあったカトリック排除を理解せず、「鎖国は祖法(先祖以来の決まり)だ」「日本は神の国、汚れた外国人は打ち払え」としてやみくもに欧米人を嫌悪し、理由なく殺害した。さらに明治政府は政権を握ると討幕運動を進めた看板「鎖国攘夷」をあっさり引っ込め、明治5年に学校教育を始めると逆に教科書で「鎖国によって海外発展の道はとざされ、産業や文化の近代化が遅れ、世界の推運からとりのこされる結果となった」(教科書『詳説日本史』山川出版社1983年)などと、鎖国を幕府政治のマイナス例として教えてきた。
本紙2629号(2023年10月27日付)掲載
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