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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」108 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

尊皇攘夷 京都のテロはやりっ放し

 山尾庸三はのちに東京大学工学部となる工部大学校の前身工学校を創設し、工部省設立にも尽力したからと、長州の一部では「工学の父」と呼んでいる。
しかし工部大学校を創っても、座学以外の現場実習を身に着けなければ机上の空論になる。明治の初めにどこで実習して単位を得られるか。横須賀造船所が当時日本で最新の理論・技術を駆使して最先端のモノづくりをする現場であったから、工部大学校生は横須賀造船所で1年間の現場実習をして初めて卒業単位を得ることができた。同校の卒業生は、庸三を「質実剛健な好人物で、一度近づけばよきおじさんで、政府高官の工部卿であることを忘れるほど…」と語っている。若い時の塙次郎暗殺や英国公使館放火は、伊藤に誘われて断れない性格ゆえということだろうか。

 明治の初め南部藩の尾去沢銅山を井上馨が強引に没収し、ほとんど私物化する尾去沢事件が起きた。のちに貪官(たんかん)汚吏(おり)の権化といわれた井上は工部省小輔山尾庸三に命じて、銅山を同郷で井上家に出入りしていた政商岡田平蔵に極端な格安値段で払い下げさせている。山尾はこれも断れなかったか―。

 江戸以外、京都のほうがテロは盛んに行われた。相手を尊皇攘夷に反する人物と決めつけ殺害する、あるいは殺された人物の耳や片腕を門内に投げ込み開明派といわれる公卿をおびやかし、口封じさせた。ことし五月の小栗まつりで講演した風刺画研究家若林悠氏も「井伊直弼の〈安政の大獄〉で亡くなったのは14名で、一方的な弾圧とはいえ、ターゲットは関係者に限定されていた。井伊直弼の横暴は〈安政の大獄〉と恐ろしげな名前をつけ学校で繰り返し習うが、はるかに悲惨で残酷で大規模な京都の尊皇攘夷テロは習わないどころか、事件を表す固有名詞すらない。名前がないと話題にもしにくいし、記憶も薄れる。パソコンで検索しても、現代の事件ばかりで尊王攘夷派の記事にはたどり着けない…」と語っている。洗いざらい調べて名称をつけられないものだろうか。

本紙2626号(2023年9月27日付)掲載





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