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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」104 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

 不毛の攘夷運動 (つづき)

 攘夷とは・・・自分の国は文化の進んだ開明の国、周囲は未開野蛮な国「東夷とうい・西戎せいじゅう・南蛮なんばん・北狄ほくてき」と低く見て、外国人を打ち払い懲らしめるとする中華思想の考え。日本では外国に門戸を閉ざす「鎖国」とセットで捉えられていた。眠れる獅子と言われた中国がアヘン戦争でイギリスに敗れ香港を租借されたこと、幕末に外国船がしきりに日本近海に現れたことから、危機感を抱いた日本で国を守るという視点から急激に広まった。
 尊皇・・・すると守るべき国とはどのようなものか、その基本を「臣下の実力者による摂関政治」でなく「天皇親政が行われた」醍醐天皇と村上天皇の時代を理想として、「天皇親政」をめざす尊皇論が説かれるようになった。

 しかしこの考えは、中国神話で二人の皇帝「尭ぎょう」と「舜しゅん」が理想の政治を行った王として儒学で評価されているから、日本なら誰だと探して二人の天皇に当てはめただけの話である(実際に二人が善政を行なったわけではなく、臣下に実力者がいなかっただけと言われる)。しかも父子相続をする日本の天皇制と違って、神話での堯はその帝位を息子に譲らず臣下の舜に譲り、舜もやはり優秀な臣下の「禹う」に譲っている(禅譲という)。その決定的な違いに目をつぶって、ともかく「天皇親政」を目標にすると、いま邪魔になるのが幕府だから尊皇=倒幕論となり、外国の敵を討つ攘夷=鎖国という思考が強まった結果、尊皇攘夷=倒幕鎖国を目ざすことが日本を守り、天皇親政を実現する道として、単純に熱狂する若者が増えた。

 問題は尊皇をテーマに掲げれば少しくらいのやり過ぎは「尊皇の大義」の前には許される、とする独りよがりの過激な行動に走る若者が、少しの意見の違いも許さず相手を殺害するテロに走ったこと。また攘夷をめざすあまり、仕事や公務で日本に滞在する外国人を理由もなく殺害し、或いは開国交易で国を豊かにして近代化しようとする開国派の日本人を襲った。

本紙2614号(2023年5月27日付)掲載





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