村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」98 -日本産業革命の地・横須賀造船所―
日本のマザーマシン(つづき)2
なんと、幕末にオランダから買い入れた機械で今も最新鋭の航空母艦の部品を作っているのだ!小栗忠順が日本の近代化に役立つと確信して建設を進めた造船所で、その当時の道具が現在も実際に役立っている。感激で私は胸が熱くなってきた。「19世紀のオランダは海外に数多くの機械を輸出したが、いま世界に残っているのはこの2台のハンマー(3トンと0.5トン)及びインドの潜水器具だけ」(「JFA」日本鍛造協会/2002.Nov.№2号)という。
ところが感激している私に、「この道具ですぐ船が造れたわけではありません」と工場長はいう。この大きなハンマーが造船所のシンボルではないというのか…、私の不審不満を察して工場長はさらに説明する。「当時はネジも、ドライバーもボルト一本も日本製がなかったですね…」、ハア、たしかに…「だから、このハンマーでまず工具や部品を造る機械を造り、その機械からネジや工具、部品を生み出し、それから船づくりに入ってゆく。すぐに船は造れないのです。このハンマーがそういった機械を造る大元の機械だからいちばん原点にあるので、現場ではマザーマシンと呼んでいます・・・」
そういうことかと納得した。「マザーマシン=母なる機械」とはごつい現場に似合わないなんともやさしい言葉を聞くものだと、印象深かった。かつて作家司馬遼太郎は「横須賀は日本近代工学のいっさいの源泉」(『三浦半島記』)と書いたが、残念ながらこのハンマーは見なかったらしい。これを見ていれば「マザーマシン」なる言葉も紹介したろう。それなら私が代って付け足しを書こう。「このハンマーが横須賀造船所の象徴とすれば、かつては横須賀市そのものが日本のマザーマシン=産業革命の地だった」と。ハンマーを支えるアーチ基部に浮き文字で彫られた、造船所建設が始まった慶応元年を示す「1865ロッテルダム インターナショナル」という文字も誇らしげに見えた。
本紙2596号(2022年11月27日付)掲載
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- 村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」98 -日本産業革命の地・横須賀造船所― 2022.12.27 火曜日