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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」96 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

 ご質問がありました。

 Q)ドック右端の岸壁が凹字形にへこんでいるのはなぜ?
一覧図の「官廳」に向かって左の岸壁ですね。これは蒸気船の側車輪を納めるスペースで、これがないと岸壁と船の舷側の間が空いて、人や荷物の積み下ろしに不便なので凹ませています。スクリュー船が主流になると凹みは不要となりました。側車輪船の当時をしのばせる貴重な絵ともいえます。

 醫室(いしつ) フランス人医師サヴァチェが、およそ400人の仏人家族と日本人技師職工が2000人、さらに周辺住民まで診療した。幕末に始まったコレラ(コロリともいった)や現在のコロナのような流行病に感染したら、造船所の建設工事とその後の造船・修理作業はたちまち停止してしまう。ロベルト・コッホが結核菌の発見を公表したのが1802明治15年だから、それまで人類は疫病が細菌によって感染することを理解していなかった。日本も欧米も神仏の加護に頼っていたから、無力が露呈したカトリック教会の権威が落ちてプロテスタントが生まれ、日本では幕府の権威失墜の一因になったという。
錬鉄所 第2ドックの左上「錬鉄所・大機械」は製鉄ではなく、買い入れた銑鉄から部品・機械をひな形や設計図によって鍛造で製造する鍛冶場。火床が40あまりあって、「大機械」は、後述する大小のスチームハンマー8基が音を立てて鉄を鍛錬工作していた。

 錬鉄所の越屋根 鍛冶場の熱気を逃がすため屋根は「越屋根こしやね」「櫓やぐら」と呼ばれる二重屋根となっている。これが応用されて富岡製糸場の操糸場でも繭を煮る際にこもる湯気の熱気を抜く越屋根となった。
ところが、養蚕研究家の田島弥平(群馬県伊勢崎市)は蚕の飼育法として室内の空気を循環させる「清涼育」を推奨し、横須賀製鉄所建設の2年前、1863文久三年に越屋根の農家を建築している。日仏同時発生なのか研究課題です。

本紙2590号(2022年9月27日付)掲載





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