村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」93 -日本産業革命の地・横須賀造船所―
「旧横濱鉄道歴史展示」見学と批判
*6月に見学した割り込み記事です
横浜JR桜木町駅南口交差点を左に渡ったビル「CIAL」1階【旧横ギャラリー】に、2020令和2年6月から東京―横浜間鉄道の歴史が展示され、実物大の機関車と客車1両が鉄道ファンを惹きつけている。汽車展示の反対側壁面裏に東善寺提供「小栗上野介の写真」と横須賀製鉄所建設の業績が小さく紹介されている。
しかしその近くで、1863文久三年五月に「国禁を犯して」密出国、イギリスに留学した長州藩士5名が「見学したと思われる」欧州の近代工場、との画像で彼らが日本の近代化を進めたように紹介しているのはいただけない。
小栗上野介は、その3年前の1860万延元年の遣米使節で見た近代化に役立つ各種工場施設を日本に導入するため腐心し、攘夷の風潮が盛んでうかつにアメリカでの見聞を語れない時代に、1864元治元年に幕閣を説得して横須賀製鉄所(造船所)建設を決定し、1865慶應元年には着工に至っている。さらに江戸―横浜間に鉄道を建設することも提案している(渋沢栄一「德川慶喜公伝」東洋文庫3)。
長州藩士が横濱を密出航する2日前に長州藩は、「外国船が攻撃したら撃ち返せ」という幕府の消極的な攘夷命令を、「見つけたら攻撃せよとの孝明天皇の叡慮と幕府の命令だから」と勝手に解釈してオランダ・アメリカの商船を砲撃、翌六月4ヶ国艦隊に手ひどく報復される馬関攘夷戦争を惹き起こしている。その攘夷派のはずの長州藩士が密出国して欧州へ渡り近代工場の設備と機能に驚いた頃、幕府はすでに総合工場としての横須賀造船所建設に動いていたのだ。
この展示は現在の中学・高校の歴史副読本を下敷きにしたと思われる。長州藩は「攘夷」をとなえ人々をあおって討幕運動を進めていながら、裏では若者5人を密出国で欧州へ派遣して学ばせていた事実。政権を奪った後は、「日本の近代化は明治以後」と何でも薩長新政府が行なったように教えてきた薩長史観がいまだに根強く残っている、この二つを証明する展示として横浜へ行ったら隣の桜木町駅に足を延ばして確認されることをお勧めします。
本紙2584号(2022年6月27日付)掲載
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