村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」87 -日本産業革命の地・横須賀造船所―
「横須賀明細一覧図」
ドックを掘る(つづき) ヴェルニー公園から真向かいのドックを建造順に見ると
・右の1号ドック…1867慶應三年に掘り始め~1871明治四年に完成した
・2番めが左の3号ドック…1871明治四年建造を開始~1874明治7年に完成
・3番めが中央の2号ドック…1880明治13年に着工~1884明治17年に完成。
やはりフランス人の設計だが建造は黌舎で造船と土木工学を学んだ恒川柳作が担当して日本人主体で建造したもの。
1876明治9年にヴェルニーは任務を終えてフランスへ帰国し、他の仏人技術者も順次解任され帰国したから、造船所建設開始から10数年ですっかり日本人だけで近代造船を行えるところまで育ってきたことになる。ここまで技術者を育ててくれたヴェルニーの功績は大きい。
ヴェルニーの教えを受けた恒川柳作の場合で言えば、2号ドックの工事が完
了すると、呉、佐世保、舞鶴と移ってドック建造を行い、横浜のドックも設計を行うなど、ドライドック建造を横須賀から日本中に広める働きをしている。1号ドック 1号ドックは白仙山の東裾を削って平地とし、さらに掘って建造した。全長約124メートルの大きな堀を造り、壁に石垣、床に石材をきっちりとはめ込んである。初め日本人の石工技術に不安があったのか、設計した仏人建築課長フロランは石工に図面を見せ、こういう石垣を積めるか、と尋ねた。石工は図面をじっと見つめて、大丈夫出来ます、と返事したという。
日本の石工技術は城の石垣でわかる通り、切石はもちろん、丸い自然石を組む「野面積のづらづみ」でも頑丈な石垣を積み上げ、斜めや垂直だけでなくなりオーバーハングした石垣まで野面で築く技術を持っている。先年に見学したワシントン海軍造船所に遣米使節が見学したドックが残っていたが、石積みは横須賀のドックのほうが切り石ではるかに丁寧に積まれている感想を持った。
本紙2566号(2021年12月27日付)掲載
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