村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」65-日本産業革命の地・横須賀造船所―
フランス人のビジネススタイルに驚嘆(つづき)
柴田らがお金はなんとか工面するから最新の機械を買い入れてくれ、と言う
とヴェルニーは「いや、最新の機械は故障する確率も高い。それより型は多少
古くてもこれまで使い込まれて故障の確率の少ないものを選びます。日本は故
障してもすぐに直せる環境にないから…」と答えている。こうしたフランス人
の誠意のこもった細かい配慮があって、横須賀の現地ではフランス人と日本人
とのトラブルがほとんど聞かれずに、建設が進められた。
昨年、某BSテレビで造船所建設の指導を英・仏・米・蘭・露など西欧列強国
のうちどちらにすべきであったかその選択の是非を討論する番組があって、当
時最強のイギリスを推す意見も出された。しかし中国に強引にアヘンを持ち込
み、拒否されるとアヘン戦争を仕掛けて香港の99年割譲支配を手に入れたイギ
リスとは、危なくてうかつに協約を結べない。イギリス商人の狡猾な手口も幕
府役人には警戒されていた。結果論となるかもしれないが、横須賀造船所建設
が大きなトラブルなく進んだのは、政治を度外視して純粋に技術指導に徹した
仏人ヴェルニーの誠意のこもった対応が基底にあると思う。
柴田らは横須賀で進んでいる土木基礎工事がすむと次は工場建物の建築工事
に入るため、雇い入れた建築関連の技師たちを伴って、1866慶応二年一月十九
日横浜へ帰国した。ヴェルニーは残りの仕事をパリで続け、船体、錬鉄、製缶
、製綱、製帆、など鉄工・器械関連の分野ごとの人選と器械購入を進め、四月
二十五日に日本へ戻った。
既に横須賀村では土木の地形工事開始の日、1865慶応元年九月二十七日(西
暦11月15日)に製鉄所鍬入れ式を行って小山を崩し埋め立てて平地を広げる基
礎工事を進めていた。現在横須賀市が毎年行っている「ヴェルニー小栗祭」は
、この西暦11月15日前後の土曜に仏大使、米海軍、海上自衛隊、海上保安庁、
小栗上野介顕彰会、日仏協会など多数の関係者参列で実施している。
本紙2500号(2020年2月27日付)掲載
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