村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」64-日本産業革命の地・横須賀造船所―
ようやくこの若者が横須賀製鉄所建設の首長になる人物ヴェルニー本人とわかって、柴田はまた不安になる。この若造が幕府の大金を使って造船所を造るとはとても思えなかった。
ホテルで「小栗・栗本殿はロッシュ公使にだまされたのではないか。あの若造が造船所建設の技師長とは…大丈夫だろうか」と、不安を口にしたほどだった。
フランス人のビジネススタイルに驚嘆
ところがいざ仕事を始めてみると、その若者の力量に驚かされる。
日本で造船所建設の大プロジェクトが始まる、人を集め器械類を購入していると聞いて日本での高給を期待し、パリのヴェルニーのもとへ多くの自薦他薦の採用希望の話が入ってくる。
ヴェルニーはそういう話には耳をかさず、次のような原則で採用を決めていった。
1、国営の工場で働く者…一定の試験を経ているから幅広い基礎知識がある。
2、現場経験三年以上の者…近代工業が未発達の日本では、機械などの故障は自分で直せる力量経験が必要。
3、人種的偏見を持たない者…アジア人を蔑視する者は仕事に支障をきたす。
4、酒癖の悪くない者…仲間とトラブルを起こさない者がいちばん。
5、なるべく既婚者で夫人同伴…不便な日本での仕事の疲れを家族の愛が癒してくれる。父母同伴も奨めた。
こうした基準で選任した人物を、すべて柴田の最終責任で採用するかたちを徹底して進める。採用された者はその日からすぐに仕事を始め、ヴェルニーを補佐しててきぱきと進めるから、日本なら決済だけで三、四ヶ月かかる仕事が、二、三週間で処理され、購入された器械は日本向けにはじから梱包され発送手続きが進められるので、日本人はフランス人のビジネスの進め方に舌を巻いた。
・令和2年1月27日号
・カット…レオンス・フランソワ・ヴェルニー像 (観音崎灯台蔵・朝倉文夫制作)誠意を以て造船所建設を進め、日本近代工業の基礎を築いた。
本紙2497号(2020年1月27日付)掲載
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