村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」59-日本産業革命の地・横須賀造船所―
横須賀村に決定(つづき)
2 湾口が北に開いて、南の太平洋から入り込む荒波も逆に北向きの湾口で抑えられ波が穏やか。
3 土の性質が粘土の硬化した土(ど)丹岩(たんがん)の岩盤でドック建造に適している…土丹岩は泥岩の一種で、水飴が粘度を持って固まっている状態の淡褐色の軟岩をイメージするとわかりやすい。構造物の基礎に適した土層で品川区歴史館に展示されている。多摩川上流の昭島市JR八高線鉄橋周辺でも見られるという。
4 南対岸の山が風を防いで造船に適している…洋式船の断面はハート型で、底辺の竜骨(キール)一点で接地して不安定。丸太で支えながら組み上げてゆくから強風が怖い。
5 すぐに外洋に出られる位置にある…高速道路のインターチェンジのそばに自動車工場や修理工場があるようなもの。などの理由であった。
しかし、決定するまでにごうごうたる反対が幕府内に渦巻いた。
出来るはずがない、時期尚早、という技術面の反対、フランスに委託することへの反対、金がない、あるなら陸軍強化に回せ、江戸から遠すぎる、そこは江戸から遠く外国船に占領される…などさまざまな反対があった。
そうした反対を抑えての決定であったから、小栗は3回目の勘定奉行に任じられていたが、建設が確定すると十二月十八日にはさっさと辞表を出して勘定奉行を辞任する。誰か一人辞めることで、反対派の機先を制した、と解釈されている。
造船所建設決定までこぎつけたのだから流れは出来た。あとはフランス人技師とフランス語のわかる日本側現地責任者の盟友栗本鋤雲に任せれば大丈夫、とにかく造船所という実質が得られればいい、という小栗上野介の合理的な思考が働いている。
本紙2482号(2019年8月27日付)掲載
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