村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」55-日本産業革命の地・横須賀造船所―
翔鶴丸の修理(続き)
ドックと造船所を造りたい、と小栗は無造作に言う。鋤雲にとってドックなど見たこともなく、初めて聞く言葉だった。まして製鉄所がどんなものか、見当もつかない。小栗は、
「海外諸国は皆わが師となる国だが、アメリカ、イギリス、オランダ、ロシアはそれぞれ前述のような理由で頼めない。ただフランスだけはいくらかまし(・ ・)で、その言葉も少しは信用できそうだから、やはりフランスに委託するのがいいと思う」という。消去法で残ったフランスがいくらかマシだと言っているのだ。小栗を親仏派と決めつけるのは単純すぎる。栗本はそれでも莫大な経費を要することを心配して
「この話はよく考えて下さい。今なら実行するもしないも私どもの権限で決められます。建設を決めてフランスに委託したあとではもうどうすることもできませんよ」
というと、小栗は笑って、
「現在の幕府財政は本当にやりくり身上で、たとえ造船所を造らなくても、その金をほかの用途に使うようなゆとりはない。だから、なくてはならないドック・修船所を造るのだとなれば、かえってほかの無駄遣いを節約する口実になるのだ。また、いよいよ出来上がればいずれ売り出す(政権を譲り渡す)としても、土蔵付き売家の栄誉が残るだろう」
と語った。(栗本鋤雲『匏庵遺稿』)
小栗の脳裏にはあのワシントン海軍造船所で見た、鉄工を基盤として船の部品のみならずさまざまな物を、蒸気機関を駆使してたちまち作り上げる総合工場の機能があったに違いない。蒸気機関を駆使して蒸気機関を造っていたのだ。
本紙2470号(2019年4月27日付)掲載
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