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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」45-日本初の株式会社―

株式会社・築地ホテル(14)―経営権譲渡―

三、築地ホテル開業当初は、新政府となっても依然として江戸の治安は悪く、旧幕府の市中取締別手組を新政府の外国事務局(先の築地外国掛り)が雇用し、ホテル周辺居留地を警備取り締まらねばならぬほどであった。          
(大鹿武「幕末明治のホテルと旅券」築地書館)

 横浜で貿易の用事が足りるならわざわざ東京へ出かけてくる外国人も少なく、経営そのものに不馴れなことがあって営業不振から新政府から借りた二万両の元利返済が出来ず、明治三年ついに身売りされることとなった。買い取った者もまたうまく行かず再度人手に渡り、明治五年一月ついに海軍省の所有するところとなった。そして間もない二月二十六日、兵部省添屋敷から出火し銀座通りから築地の海沿いまで焼き尽くす〈銀座の大火〉が起きて、築地ホテルも完成後三年半で類焼失してしまった。

 其後程も無くホテル焼失して、今尚庭ばかり存在す、    
(『平野弥十郎幕末維新日記』)

 こうして日本最初の株式会社の手法による築地ホテルは「幻のホテル」といわれるものとなって、一部の人に知られる存在にすぎなかったが、近年小栗忠順の株式会社に関する研究の過程でその存在がわかり、明治以後隠されてきた小栗忠順の業績再発見とともに、このホテルの存在も注目されるようになってきたのは喜ばしいことである。

 さらに昨年11月に東京都の築地再開発検討会議で各委員の提案を検討、築地ホテルの復活も候補に入っていた。小栗忠順の株式会社の一つであり、復元が実現すればPFI法案を先取りした150年前の株式会社の手法を幕末に取り入れた歴史が表に出る提案である。ガラス張りの高いビルは築地に似合わない、築地ホテルの和洋ミックスのレトロな建物が再現されることを期待している。



本紙2440号(2018年6月27日付)掲載





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