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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」32 -日本初の株式会社―

株式会社・築地ホテル(2)―平野弥十郎日記―

江戸で土木請負業をしていた平野弥十郎は清水喜助とも親しく、この時のことを記した貴重な日記を残している。

 この十月から築地海岸を外国人に開放して、外国人の為に立派なホテルを建てようと、幕府の小栗忠順らが計画したが、幕府の財政はいま厳しいので、土地は市民に無償で貸すから、自費で築地にホテルを建てるものがいれば、出来上がったホテルの純益金は請負人の所得としてよい。さらに付属の建物も何ヶ所でもやはり地代を無償とするから、誰か建てるものはいないか。内々にこうした呼びかけがあった……

(『平野弥十郎幕末維新日記』北海道大学図書刊行会・意訳)

パナマの鉄道会社とまったく同じ民間資本による株式会社の手法によって国内のインフラ整備を計画していたことがわかる。近年、公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金と経営能力や技術的能力を活用して行うPFI法が施行されているが、その先駆けといえる。
これを受けて清水喜助は慶應三(1867)年七月十日に、ホテルおよび築地居留地にかかわる建築・土木工事一式の請負願を、家主と五人組連署で奉行所にあてて提出した。
 
喜助の願書 

 「平野弥十郎幕末維新日記」は、弥十郎が毎日つけていたものではなく、年の終わりに回想してまとめて書いていることから日時の正確さや臨場感に乏しい憾(うら)みが残るので、幕府公文書で見ると、次のように願い出ている。



本紙2401号(2017年5月27日付)掲載





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