村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」33-日本初の株式会社―
清水喜助は町奉行所宛のホテル建築願書に次のように書いている。
1,ホテルの建物大小五棟とエンテルホット(貸倉庫)と運上所(税関)を建築
し、波止場の浚渫や地ならしなどの土木作業を自費で行ないます。
2,ホテルで使用する機械や器具などは取り揃え、ホテル経営は慣れた西洋人をと
いうお話ですが、私どもで心当たりの慣れている日本人を雇って私が支配人を
勤めます。
3,ホテルの設計図は200ドル払うことになっていますが、建築中の現場監督や差配についても建設費の百分の五を払うことで、設計図代とも千ドルになります。
4,ホテルや倉庫の地代はいずれ納めます。また旅客の多寡に応じて冥加金も納め
るつもりですので、よろしくお願いします。
新石町壱丁目
勝五郎地借 喜助
(『続通信全覧』・意訳)
弥十郎は続きをこう書く
ホテルの建設を願い出た神田新石町の大工の棟梁清水喜助は、近年横浜に出てもっぱら外国人向けの建築を請負っていたが、木場の鹿島清兵衛と信州の吉池泰助を金主兼保証人としてこの仕事を請負い、自費でこの大事業を起こした
(『平野弥十郎幕末維新日記』・意訳)
という話である。
本紙2404号(2017年6月27日付)掲載
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