村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」31-日本初の株式会社―
株式会社・築地ホテル(1)―江戸開市―
日本に株式会社を導入し、民間資本によってインフラ整備を図ろうとする小栗忠順の構想の三つめは、幕末の江戸に出来た日本最初の本格的なホテル、築地ホテル。明治初年の東京の新名所・ランドマークであり、外国人に「エドホテル」とよばれた築地ホテル館が、小栗忠順の指導をうけた清水建設二代目清水喜助の手で、株式会社の手法によって建設され、経営されていた。
幕府は安政元(一八五四)年に再度来日したペリーとの間に、日米和親条約を調印して開国の第一歩を踏み出し、続いてイギリス、ロシア、オランダ、フランスとも同様に調印し、その条約の中で開港場と開市場を設けて外国人が居住して貿易することを認めた。
さらに安政五(1858)年に調印した日米修好通商条約で、開港場として神奈川・長崎・新潟・兵庫・箱館の五港、開市場として江戸・大坂を約束し、それぞれの実行期限も決めていた。
しかし、政治経済の混乱があって開港開市を延期交渉し、江戸の場合は当初1862年1月1日(文久元年十二月二日)となっていたものを1868年1月1日(慶應三年十二月七日)に延期して予定していた。イギリス公使パークスはその半年前に、幕府が築地鉄砲洲(現在の中央区明石町一帯)に予定した外国人居留地の中にホテルを新築することを求めてきた。
勘定奉行小栗忠順はこれを受け、江戸に外国人が泊れる本格的なホテルを、民間資本による株式会社の手法で建設することを考え、江戸の建築業者を集めて持ちかけた。
7年前に遣米使節として訪れたワシントンや、ニューヨークで泊った一流ホテルの経験が、彼の構想に活かされている。
本紙2398号(2017年4月27日付)掲載
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