村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」16-ペリーが見た日本人―
日本人の文化と教養(つづき)
江戸幕府の最大の特徴は260年間戦争をしない政治であったこと。戦争がなければ庶民の財産も守られて生活にゆとりが生まれ、文化・教育・娯楽が発展し、知識が広まり好奇心が高まる。その結果をトータルに身につけた上層階級である武士の様子を、もう少し『ペリー艦隊日本遠征記』で見てみよう。
「地球儀が運ばれてくると、彼らは合衆国の位置に目をつけ、ワシントンとニューヨークを即座に指さした。まるで一方が首都で一方が商業の中心であることを知っているかのようだった。同じ正確さで、彼らは英国、フランス、デンマークなどヨーロッパの国も指さした。合衆国についての質問からも、彼らがわが国の物質文明の進歩について無知ではないことがわかった。合衆国では道路が山を貫いて走っているのか、と彼らが聞いたのは、たぶんトンネルか鉄道のことを指して言ったのだろう。…地峡を横切る運河はもう出来たのか、と聞いてきたのは、当時建設中だったパナマ鉄道のことだろう。…」
当時の武士たちはパナマ運河建設の計画を知っていたのだ。運河建設はまだ計画段階で、とりあえずパナマ鉄道の建設が進められペリー来航の2年後1855(安政二)年に完成している。最近その建設をテーマとしたパナマ人作家の小説『黄金の馬』(三冬社)が邦訳発刊されたから、当時の苦心を具体的に偲ぶことが出来る。
幕府はペリーの来航もオランダからの通信で承知していた。
明治以後の学校教育はこういう教養知識を持つ武士たちの姿を隠し、「…蒸気船(上喜撰というお茶)たった四杯(四隻)で夜も眠れず」など町人目線の歌で、ペリー艦隊の来航に慌てる無能の幕府役人をからかう構図にして、前政府(幕府)のイメージ矮小化を行なってきた。(つづく)
本紙2353号(2016年1月27日付)掲載
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