村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」14-遣米使節が見たもの―
日本人の完璧な手工技術
日本人の好奇心・向上心の熱意は自然にアメリカ人に伝わる。はじめ黄色人種の日本人を好奇の眼で見ていた彼らは、やがて日本人が知的好奇心に満ち、礼儀を重んじ、品格があり、衣服の布地や刀や持ち物に精緻(せいち)な工芸技術が発揮されていることを認め、それが新聞報道されるとワシントンからボルチモア、フィラデルフィアと移動する先々で日本ブームが起こり、話題が広がり、最後の訪問地ニューヨークで最高潮の熱気となった。ニューヨークタイムズはこう報じる。
「彼ら(日本人)は財布をはたいて、あらゆる種類の反物、金物、火器(銃)、宝石類、ガラス器、光学機器そのほかわれわれの創意と工夫を示す無数のものを買う。我が国と日本との通商の道が十分に開放されれば、これらの物品はそっくりまねされ改良されて、わが国に戻ってくるに違いない」(ニューヨークタイムズ1860年6月30日)
まるで百年後の日米関係を予言するかのような洞察だが、この記事の背景に『ペリー艦隊日本遠征記』の次の記述がある。
「日本人は非常に器用であることが分かる。道具が粗末で、機械の知識も不完全であることを考えれば、彼らの完璧な手工技術は驚くべきものである。日本の職人の熟達の技は世界のどこの職人にも劣らず、人々の発明能力をもっと自由に伸ばせば、最も成功している工業国民にもいつまでも後れをとることはないだろう。人々を他国民との交流から孤立させている政府の排外政策が緩和すれば、他の国民の物質的進歩の成果を学ぼうとする好奇心、それを自らの用途に適用する心構えによって、日本人は間もなく最も恵まれた国々の水準に達するだろう。…」
(『ペリー艦隊日本遠征記 』下巻・オフィス宮崎編訳・万来舎)
本紙2347号(2015年11月27日付)掲載
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