奈良・唐招堤寺から数百年前のボルト、ナットが発見される
奈良・唐招堤寺から約百年前のボルト、ナットが発見される
文化財保存に平成の大改修
約百年前のボルト・ナットが、日本最古の寺、国宝・唐招提寺の金堂修復工事によって発見された。
唐招提寺は、天平宝字3年(759年)に平城京右京五条二坊の地に唐の高僧鑑真和上が開き、草創期に賜った勅額「唐招提寺」をもって正式な寺の名称にしたと伝えられている。
修復工事の行なわれている金堂は、奈良時代建立の金堂として唯一現存する貴重な建物であり、鎌倉時代、江戸元禄期、明治時代と大規模に修復。小屋組・柱間装置に後世の改変がみられるものの、奈良時代の仏堂形式をよく伝える第一級の文化遺産として国宝に指定されている。
- 唐招堤寺屋根(1/10模型)
しかし、明治の修復から約百年が経過したなかで、屋根部からの荷重を原因に柱の内倒れによる構造変形が大きくなり、阪神大震災級の地震が発生した場合には倒壊の恐れがある放置できない変形と認識し、保存補修事業の必要性を判断。平成10年6月より構造変形のメカニズム解明と構造補強基本方針の作成を始め、平成12年1月から素屋根の建設工事に着手。
文化財的な価値を損なわずに構造補強をおこない、また金堂の価値をより一層明確にするため、建立及びその修理経過、用いられた建築技法などの詳細な調査のもとに保存修理が実施されている。
- 発見されたねじの材料はベルギー産
約百年門の月日を経て世紀の発見
修復のために鴟尾おろし、屋根瓦おろし、野地板解体、屋根を支える小屋組解体と作業が順調に進められた。ところが、小屋は明治(32年)修理時に大幅な改変を受け、洋式のトラス構造と和式の桔木を融合させた和洋折衷様式に変わっていた。この幕末から明治にかけて日本に伝わった構造手法のトラス構造には、要所要所でボルト・ナットが締結部材の役割を担い、約百年間の月日を経て世紀の発見となった。また、建造物の強度を持たせるために、筋交い機能のターンバックル工法も取り入られていた。
- 発見されたねじ
摩訶不思議なボルト・ナット
形状は、ボルトの頭部は四角頭が多く、一部のボルト長さ2メートル以上の物には八角形の変形型がみられ、ねじ部は切削加工、全長は長いもので4メートル以上の物もある。ナットは、六角形と、成型や使用によって角部が丸みを帯びているものもある。ともにサイズはウィット系の3/4と1インチの二種類、材料は含有成分などを分析中であるが鉄としている。また、解体時には四角座金が嵌められていたが、1セット(ボルト・ナット)に1枚使いや3枚使いと変則的になっていて、現在の緩み止めや陥没防止効果だけを目的に使用された訳ではないようだ。
- ボルトのねじ山
製造方法については、ボルト頭部およびナット形状の外観から見て、火造り(熱間鍛造)が有力視されている。但し、ボルトの頭部首下には一筋の溝跡が残り、胴部との一体成形ではなく、頭部と胴部それぞれのパーツをカシメ加工の様子が窺がえる。また、ねじ部に近いボルト胴部には「MADE IN BELGIUM」と「BELGIAN MAKE」の刻印が読み取れ、察するところ“ベルギー産”の可能性が高く、これらはボルトとしての完成製品もしくは加工前の材料での輸入かは判明していない。材料とされている鉄は、1900年頃の生産量では米国が世界最高を誇っていたが殆んど内需で消費され、一方丸鋼・板鋼の主要輸出国は世界比率でドイツ45%、ベルギー25%を占めていた統計から、使用された材料はベルギー産として裏付できるとみている。
- 熱間鍛造で作られたと思われるねじ
現代技術でルーツ解明
いずれにしろ、このボルト・ナットが約百年前にどのように製法されたかは業界の歴史を振り返る意味からも関心深く、また材料も果たして鉄鋼製と予測はできるが、不明な点もある。現在、鉄鋼メーカーにボルト・ナット・座金のサンプルを提供し、含有成分やその製法等の解析に取り組んでいる。なお、修復工事を監理する奈良県教育委員会では、健全な状態を取り戻す作業や金堂の文化的・歴史的事項の解明をおこない、平成21年の完成を目指している中で、ボルト・ナットの解明にねじ企業が有する知識・知恵を必要としている。
- 発見されたナット
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