村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」88 -日本産業革命の地・横須賀造船所―
「横須賀明細一覧図」
ナウマン象の化石 1号ドックを白仙山の東裾に決めて工事が始まって間もない慶應三年七月、切り崩している土の中から大きな動物の骨の化石が出てきた。医師サヴァティエによって「ゾウの顎の骨」として写真が撮影され、現物も大事に保管された。後に東京大学地質学のドイツ人教授ナウマンが研究したことから「ナウマン象」と名付けられ、その後全国各地から同じ種類の化石が多数発見されているが、横須賀が最初の「ナウマン象の化石発見の地」となった。
2,3号ドック 当初の予定では埋立地に建造する図面だったが日本は地震が多いことを考慮して変更し、2号、3号ドックは岬である標高45mの白仙山
そのものをツルハシで掘りモッコで運んで削り取って平地としただけでなく、
さらにその下の岩盤にドックを掘った。
手押し車 『横須賀海軍船厰史』に「白仙湾以北の土工(事)を寄場人足に負担せしめ…」とあるから、刑期を終えて釈放されても行き場のない元囚人や
無宿者を集めた寄場人夫が300人近く動員された。ユンボ、ブルドーザー、ダンプがなかった当時、すべて人力による工事だからお菓子にアリが群がるようなすごい大工事だったと想像できる。
土石の運搬には「江戸開成所所蔵の米国製運送車を…」使っている。ペリーが土産に残した手押し一輪車が使われたものと思われる。モッコよりも軽く運べるから、作業能率が少しあがったことだろう。ふつう「猫車」略して「ネコ」と呼ぶ。なぜ「猫車」なのか諸説あるが、猫が伝い歩くような狭い「猫足場(キャットウォーク)」でも使える一輪車だから「猫車」、という説が納得で
きる。
中国『三国志』の諸葛孔明が発明したという「木牛」がやはり一輪車で、現も中国奥地の村で木製の車輪に木の柄をV字につけて使用しているシーンが最近のTVで流れた。これが中国~イギリス・アメリカ~日本と伝わったのだろう。中国から日本へ直接伝わっていたら、「木牛」の名で定着していただろう。
本紙2569号(2022年1月27日付)掲載
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