現在位置: HOME > コラム > 阪村氏のねじと人生 > 記事


阪村氏のねじと人生

TCボルトの発明

 建築法が改正され、従その来のリベットカシメ工法による鉄骨の組立てが、摩擦接合工法に変わった。
 そのため25ミリ径型の大型ヘッダーと、ねじ転造を行うロータリーローリングの需要が増加する“高層建築の時代”に入った。
 

 昭和43年(1968)には、地上147メートルの36階建て「霞ヶ関ビル」が完成した。男心と秋の空といわれるように、人の心も分からないが、ねじの締結も分からないものである。締まったような顔をしているが、チェックすると緩んでいる。超高層ビルの建築となると、何百本というハイテンションボルトで締結を行うのだが、地上100メートル以上での組み立て作業のため、1本1本トルクレンチで適正なトルクで締結しているのか、手抜きで緩んでいるのかチェックを行うことができないので分からない。

 その解決にP・I高力ボルトが三協特殊鋼ねじにて開発された。当時としては画期的な発明である。一定のトルクに達すると、上下で一体となっているナットの中間部がそのトルクで破断し、上下ナットの対辺・対角がズレて多角形となるため、締結トルクが見て分かるのである。工場が完了すれば、いちいちトルクレンチでチェックせずとも見れば分かる。また、ダブルナットとなるため“緩み”防止にもなる。

 そのため爆発的な人気となり、アメリカから大量のフォーマーを導入して一挙に日本市場を独占するため営業所も増設した。

 しかし、思わぬ欠陥があった。それは、外周の溝は旋削にて正確に求められるが、内径の雌ねじに対して破断の対応ができる空間を設けていないため、正確にトルクが一定しない。(現在阪村産業では、空間を設けたトルシアナットをフォーマーで生産結合して提供できる)

 さて、超高層建築時代の幕あけに際して阪村機械ではというと、折角生れたハイテンションボルトの大きな市場である。これを独占すべく、前途の如きナットではなくボルトの先端に設けたピンテールが一定のトルクに達すると反力により破断する「TCボルト」の開発に成功した。

 この時もスクラップレスの発見と同じで、世界中のお金が阪村機械へ流れ込むと喜んだのだが、基本特許が大正12年に英国で登録され失効している。また、アメリカの航空機の組立てに採用されているため、ボルトの特許は出願せずに、その切断溝の製法について出願した。

 トルクを一定に保つためボルトに設ける切断溝は、正確な寸法の仕上がりが要求される。切削加工では、芯振れで無理である。そのため、転造による製法を開発した。溝の深さも自動的に転造中に求められるPATも申請した。

 フォーマーとインラインする場合は、ボルトブランクがフォーマー加工での圧造熱をもったまま転造されるのと、冷却した在庫のボルトブランクを転造するのとでは、転造変形の抵抗が変わるため熱補正を行い、常に一定温度のブランクがローリングに供給されるシステムも開発した。

 次は市場教育であるが、サカムラが行うより「新日鉄」で行う方が建設業界の保証の信頼性が獲得しやすい。単にボルトを販売するのと違い、その締結保証まで販売するため、日鐵ボルテンの上野社長と、いろいろ販売戦略を練って市場参入を計った。

 一番困ったのは締結ドライバーの開発である。各社で製作してもらったが、工場内で用いる設計のため、雨天の建設現場で荒っぽいトビ職の乱雑な取り扱いに耐えられる器具の開発までには10年の歳月を要した。桃栗3年、柿8年という訳である。

 現在では、このトルシア形ボルトでの施工は日本の建設の90%が採用しており、高層ビル、道路建設では100%用いられている。

 あれから30数年経つが韓国、中国に旅行して、林立する高層ビルを眺めたとき、異国でもその締結ボルトが採用されている。

 社会に貢献できた功績と科学技術長官賞を頂いた事に感謝したい。

本紙2004年9月7日付(1943号)掲載。


バックナンバー

購読のご案内

取材依頼・プレスリリース

注目のニュース
最新の産業ニュース
写真ニュース

最新の写真30件を表示する