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阪村氏のねじと人生

東京へ、そしてナットフォーマーの開発

 貧すりゃ鈍する、転けりや糞の上。泣き面に蜂。
 間の悪いときはそんなもので、いわれている通りである。

 ノイローゼで、いくらもがいても、体が言う事をきかず、いわゆる“泣き面に蜂”の事態に及ぶに至った。工場では今の現状では会社が倒産しても我々は退職金がもらえない、労働組合をつくってその確保を計るべきだ―と、工場長の川口が煽動し、従業員の多くが動揺しだした。全くその通りであったため、組合を作り、退職金は信託銀行に、会社と切り離して預金してゆく事とした。

 しかし、金がない。何千万円という不渡り手形の山を残して上京した。だが、東京も惨たんたる状況で、山一證券が日銀の特別措置で生き残っているが、他はバタバタと倒産している。

 われわれの東京市場も例外ではない。販売の神様であった小野田支店長は、3ヶ月受注ゼロで、東京工場は仕事が無いため、毎日の草引きとガラス磨きで、皮肉にも雑草は1本もなく窓はピカピカになっている。その場に従業員が“ヒナタボッコ”にたむろしている現状であった。

 幸い、東京工場は阪村個人の所有であったから、売却して退職金を支払い、機械製造業から撤退を決意し樋口工場長にその旨を申し伝えた。

 泊まっている旅館からは、15万円も宿賃が滞っている―と毎日催促されていた。しかし樋口は、機械工業こそ敗戦の日本を立て直す元だ、もう一度考え直してくれ、あと1メートル掘ったら金鉱にたどりつくのに、それが分からんのかと中止する愚は避けたい―と反対した。

 そんなとき、目にとまったのは「ターントランスファーをもった3D3Bのピンヘッダー」である。

 180度回転するチャックが、パンチの前進に合わせて上下に逃げる独創のトランスファーをもっている。ニードルベアリングの両端をRに成形する高速ヘッダーで、200回転は可能だ。

 これを3段にしてナットフォーマーにすれば、現在の輸入機の2倍のスピードで、価格は10分の1で出来る。

 とにかく、最後のカケとしてやってみた。気がかりなのは、出来たナットが現在の切削製よりも美しくなければ、この不況下お客は見向きもしてくれないだろう。

 下手は打てない。金型は超硬合金で「東宝ダイス」に無理を言って作ってもらった。試運転は山形精工の社長立会いで行った。

 見事であった。毎分120個(1秒間に2個)の高速で、美しい六角ナットが流れるように機械より飛び出してくる。

 社長さんは言った「いくらだ」「4百万円です」「よし、買った。明日、全額現金で払うから取りに来い」。

 そして更に言った。「それと、東京では山形が買うのを中止するまで“どこにも売るな”」という事で、まず4百万円を頂いた。有難かった。倒産を救ってくれたお金である。

 しかし、超硬の金型は、当時の技術では耐久性がないことは充分わかっていた。山形精工にて量産に入ると、バリバリ超硬ダイスが割れた。機械は良いがダイスが悪い「もって帰れ」「良い金型が出来るまで自社で充分回してみろ」と、結局この1号機は東宝ダイスに返品されたと聞いている。

 そのため、東宝ダイスでは独創的な“焼バメ法”を開発し、今では超一流のダイスメーカーになっているが、当時の犯人は阪村である。素材と金型とクーラントオイル、この三つが揃わないとフォーマーは役に立たない―そのことを知っていて、切削工具の非能率とスクラップの多いのに悩んでいた山形社長をペテンにかけたわけである。

 それだけお金が欲しかった。仕事がなく、ウツロな目で見つめられた社員たちにパッと輝く光と未来を示したかった。兎に角試作は成功した。お金を手にした。

 あとは課題を解決し、お客様に心から喜んでもらえるように実行するだけである。

 必ず、山形社長の好意と東宝ダイスの清水クンに与えた苦労には報いてみせると決心し、滞っていた宿賃も支払って、大阪へと帰ってきた。

本紙2004年8月7日付(1940号)掲載。


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