阪村氏のねじと人生
工業国ドイツ
ドイツへは、パリより汽車に乗ってケルン乗り換えで、デュッセルドルフを訪れた。隣に座ったドイツ人が、チャイニーズか?と言うので「ジャパニーズだ」と答えた。彼は早速握手を求め、今度イギリスと戦争する時は、イタリアを仲間に入れず一緒にやろう―と親しく語りかけてきた。
日、独、伊同盟三国において、もしイタリアが降伏しなかったとしたら、ドイツではロケットが発明され、ロンドンをV1、V2号で攻撃していたし、またジェット戦闘機も実戦に参加しており、原子爆弾もブラウン博士が大体完成していたので勝った筈だ…と次期戦争への展望とも思える話を語ってみたりした。
ドイツは世界の強国として恐れられた。それは、第一次世界大戦で負けても4ヵ年計画を発動するなど、軍と工業技術は4年後の再戦を可能とした。それまで、当面は中欧での膨張政策をとるが、最終的にはソ連を攻撃して原料と食料の基地となる東方生存圏をつくることとしたのである。事実、1941年6月、ソ連に侵攻したドイツは、何百万人ものソ連住民を餓死させ、ドイツが必要とした食糧を調達した。
ヒットラーの責任もさることながら、ドイツは地理的範囲を示す国境ひとつとっても、時代ごとにその変動は著しく、そういう宿命にて成り立っている。1871年の統一ドイツ成立から現在までに限っても、国境は4回も大きく改定され、そのたびにドイツは拡大したり縮小したりしている。
1633年のジャック・カロ(版画家)の作品「農家の掠奪」をみても、侵略した兵士は農夫の目をえぐり、女を手ごめにする場面が描かれており、その右隣では逆さ吊りされた農民が財産を隠したからと、火であぶり殺しにされている。
ドイツはヨーロッパの中央にあって、多くの国と国境に接し、隣接した国々との間で絶え間のない争いを繰り返し、ナポレオンにも占領されていた国であったことを理解しなくてはならないと思う。
そのためドイツは中世以来、多数の移民を送り出した国でもある。1880年代には、550万人のドイツ人がアメリカに渡り、有名な企業白人は祖先をドイツ人としている。ブラジルも主な企業はドイツ人がやっている。「我々は工業製品を輸出するか、ドイツ人を輸出するかのどちらかである」と、述べているがこの貧しさがドイツの工業力を生んだ。
1830年代、鉄道建設から始まったドイツの工業化は、やがて石炭、鉄鋼から機械工業へと波及し、イギリス、フランスを抜きヨーロッパ大陸随一の工業国となった。我々の業界ではクルップが有名であるが、第一次世界大戦では、戦場で敵味方両方ともクルップの大砲であった。
他方、ジーメンスは1866年発電機を発明し、現代社会に不可欠な電気をつくった会社で、世界市場を2分する巨大な企業にまで成長していた。また、科学はドイツの独壇場で、1900年には全世界の合成染料生産の90%をドイツ一国で占めていた。
第一次世界大戦までの僅か40年間で、貧困のどん底から世界一になった発明、開発の工業国ドイツである。我々ねじ業界でも有名なねじ機械メーカー「ペルツァー社」が生れている。
阪村はペルツァー社を訪問し、コッホ社長に早速技術提携を申し込んだ。
コッホ社長は、若い阪村に対して話した。
「零戦」はメッサーシュミットより優れた戦闘機であるが、どこと提携してつくったのか。また、戦艦大和の大砲を製作した1万6000トンのプレスはドイツに発注したが、大きくて輸送ができないため、各部部品をドイツで作り、呉海軍工廠で組立て完成させ、昭和16年(1941)の太平洋戦争開戦に合わせて、世界最大、最新鋭の「戦艦大和」を完成させている。
この先輩達の赤い血潮をひく若い日本人が、1回位戦争に負けたからと悲観するな―であった。
「今、君がドイツから図面を持って帰っても、翌年にはまた、新型がドイツに出来ている。今、君に大切なのは、阪村機械に他社の真似をするコピーメーカーの遺伝子を社風として植付けるか、世界に誇れるオンリーワン企業「創造」の社風を遺伝子として植えつけるかを決める大切な時である―」と教えられた。
まさに目からウロコが落ちた戦友同盟国ドイツの忠告であった。この一言が今日の株式会社阪村機械製作所に脈々と流れている。
本紙2004年7月7日付(1937号)掲載。
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